2007/08/20

PBP2007 皆の助けを借りて

 事故の後、妻は電話番号を知っている参加者に電話しまくったようです。
連絡を受けて先に進んでいた川野さんや松村さん、加藤会長らが戻ってきてくれました。

 私は意識を失うときに「あ、死んだ」くらいの感覚だったのですが、実際は呼びかけに対してなんらかの返答があるなど完全に意識が無かったわけではなく、妻は命には別状は無いと思っていたとのこと。
 参加者で英語が話せるドクターとか、英語が達者な日本人とかが集まってきてくれいていたようで、そんな中ERの女性隊員?に担架に乗せられたことをうっすらと覚えています。

 金髪美女が顔を覗き込んで、こっちの顔を跨いで、「おいおい凄いアングルだなー」なんて天使を堪能しながらまた失う意識。
 ただこの時は疲労と安堵から眠っただけのような気がします。

 次に目覚めたのは病院のベッド。
女医さん2名が私のBOAシューズを脱がそうと四苦八苦していました。
「ボタン、プッシュ、ダイヤル」とか物凄いカタコト英語でBOAの開放方法を伝えようとしますが上手くいきません。
 しばらくやり取りが続いた後、別に自分で脱げばいいだけのことに気づきました。もう起きてるんだし。

 その後は痛いところを説明してレントゲン。
レントゲン技師は黒人の女性でした。ここまで医療関係者は全員女性、しかも美人です。
フランスすげえなーと思ってましたが、もしかしたら頭を打ったせいで見た幻だったのかもしれません。

 レントゲン後に病室に戻ると、妻と加藤会長が。
会長は英語がさっぱりな鈴木家に付き添い、病院まで来てくれてました。そのせいでリタイア。
本当に申し訳ありません。

 加藤さんが医者(男性ね)に状況を説明してくれ、「頭を打ったんだけど検査しなくていいの?」と伝えてるのですが医者は「今別になんともないでしょ?じゃあ検査する必要なんてなないよ」とアッサリ。
 疲れてるだろうから食事でも食べたらもう病院出ていいよといわれ、2人が見守る中私だけ食事。おそらく2人とも私よりずっと疲れてるはずなのに、とっても申し訳なし。


 病院に勤めている人が帰宅する際にフージェールのPC近くまで車で運んでくれるということで、ありがたくお誘いを受けてコントロールポイントまで。
 加藤さんは事故にあった後の私の自転車を近くの家の人に預かってもらってたり、妻が気がつかないような細かい処理を凄いやってくれていました。


■保険の話
 2007年のPBPでは保険契約が義務付けられており、日本人参加者は三井住友海上の海外保険に加入するようにとAJからの指示がありました。これに入っていたため現地での治療費は負担することなく済んだのですが、どのように手続きしていいのかわからず、妻はかなり大変だったようです。

 まず連絡先がわからずに私の実家に電話、その後は日本の担当者とやりとりで、電話代が相当かかりました。一旦話がついた後は、保険会社と治療を受けた病院がダイレクトにやりとりをし、治療費は保険会社が払うということで我々はお金を払うこと無く治療。
 三井住友海上は保険会社がそのまま病院に支払いをしてくれ、こちらの一時的な出費が抑えられるようです。
 この後に医者から貰った処方箋で購入した薬代に関しては、後日帰国後の請求となりました。

 
 フージェールのPCに着き、とりあえず今晩の寝床を探すことに。
PBPのPCでは簡単な仮眠できる場所が設けられています。


 ここフージェールでも学校の教室にマットを引き、仮眠所としていました。
入り口の人に何時に起こして欲しいか伝えるとその時間に起こしてくれます。無料ではなく料金がかかります。
 300km地点なので行きで使用した人はほとんどおらず、帰りはまだ誰も来ていない状態だったため綺麗ですが、終盤になると悪臭が漂うという話も。

1 件のコメント:

  1. パニくっていたので皆様にご迷惑おかけしました。すみませんでした。特に加藤さんにはお世話になりました。

    保険契約番号と電話連絡先はお忘れなく。。

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