2016年7月25日月曜日

2015RAWその13: 予算とサポート

最後にRace Across the West参加にかかった費用一覧。
レートは2015年6月の1ドル=126円で計算。

■リタイアまでにかかった費用

・参加費:119070円
登録時期によって値段が3段階に変わる、1番安い時期は逃して2番目の値段

・航空券:688700円
5人分。成田-サンディエゴ, デュランゴ-ダラス-成田

・レンタカー:152110円
Dodge Grand Caravan 8日間、保険込

・ガソリン代:15120円
サンディエゴ-ブロウリー往復の600km。完走していた場合はx3

・駐車場代:1890円

・ホテル(オーシャンサイド):131217円
2部屋x3泊

・ホテル(デュランゴ):32538円
2部屋+ベッド追加。事故後にキャンセル

・携帯電話:11081円
現地で買った2台。通話料2時間込み

・海外旅行保険:6340円
アメリカ9日x2人分

・国際免許証:2400円
1人分

・ESTA:1764円
1人分

・サーチライト:9600円
マグネットで車に取り付け

・薬:10000円
ドーピングフリーなもの一式買いなおす

・現地で買った工具、毛布等:10000円
かなり適当。ウォータージャグとか毛布とか。

・空港-スタートまでの食費:70000円
これも記録無くて適当。夜の酒代含む。朝食はホテル代に込み。

□小計
約126万円

  これにガソリン代+3万、道中&デュランゴでの食費4万を加えると順調に完走した場合にかかった費用は133万円。
  クルーの国際免許申請料など準備にかかった費用や空港までの交通費、現地でのコーヒー等ちょっとした飲食代、現地でのお土産等は含まず。
  自転車は普段使っているものとはいえ、反射材やライトなどRAWにあたっての機材購入が結構あった。自転車絡みの費用やライダー&クルー用のジャージ代も含まれていない。

  今回は失敗談であり完走した2016年は違ってくる。レンタカー、現地での棚や工具購入などは上記の例だとホント最低限。
  現在はかなり円高が進んでいるとはいえ100万円以内に抑えるのは難しいか。
※ちなみに私の2015年PBP費用は217000円と、他の人と比べてかなり質素な遠征である。

□入院後にかかった額
  航空券1人分、ブロウリーでの滞在費等。事故によるホイール損傷、眼鏡や衣類紛失などは保険請求しておらずそこそこ損害を被った。
  帰国後暫くして病院から封筒が届き、なんだろ?と中を開けたら治療費4.7万ドルが保険会社からまだ支払われてないとかの書面で焦る。当時のレートで520万超、3日入院でそんなにかかるのか、アメリカ行くときはカード付帯保険じゃ危険。(保険会社からは帰国後手続きした後に支払われたため入金が前後していたようだ。これ個人負担だと死ねる。)

  ジャージ作成、自転車やタイヤ等の消耗品購入などどこまでがRAWの費用か難しいが、これらを合わせると全体で150~170万くらいかかっている。
  サポートありのレースはチームとして走るとこが面白いところなんだけど、やっぱり単独(セルフサポート)と比べるとそうそう参加できる金額じゃないな…

■資金援助
  RAW参加にあたり、現金で援助をしてくれた方がいた。
また鈴木家ジャージを作成、販売。これの価格は原価から1着500円ほどの上乗せだったが、多めに支払ってくれる人も多かった。結果皆様から集まった資金は169500円、これはクルーの飛行機代として使用させて頂いた。
  支援してくれた方、特に高額援助してくれた方はお名前を記載したいところだがここでは金額のみ。(何人かには名前載せていい?と了承とってはいるんだけど…)

  金銭面だけでなく多くの人からの応援を受けこの素晴らしい大会へ参加することが出来た。力不足で期待に沿えず、完走からは程遠い結果となってしまったが通常では味わえない貴重な体験ができた思う。

  皆さんありがとうございました。2016年に続きます。
※2018年以降もし参加したい人が居たらクルーやるから声かけてください。

2016年7月20日水曜日

2015RAWその12: 帰国、反省やレースの結果

  意識がしっかりした時点で一晩見て問題無かったら退院と決まる、一般病棟に移ってもう一泊。
  予定では6/20デュランゴ発の飛行機で帰宅。妻を除くクルー3人は予定と同じ日に帰国できるようにサンディエゴからの飛行機を取り直して貰った。レンタカーはデュランゴまでの片道では無く、借りたサンディエゴで返すことに。
  皆と一緒に帰れるタイミングで退院できたが、既にサンディエゴからの飛行機は空いておらず2人はロサンゼルス発。サンディエゴまで向かう皆に空港まで送ってもらう。

  元々のデュランゴ発の航空券は格安便のためキャンセルしても払い戻しは無し。新しいチケットは海外旅行保険の救援者費用で本人+3名はカバーできた。ただこれは3人と1人分は救護者扱いにはならない。このあたり契約した保険の規約が良く分かっておらず、現地で(妻が)苦労したかもしれない。
  退院が1日遅れたら砂漠の街ブロウリーから荷物を持っての空港までの移動をなんとかせねばらなず、皆と一緒の車で帰れてラッキーだった。

  サンディエゴに着き、空港のホテルで一泊。クルー3人はそのままロスに移動、日本到着時刻はほぼ同じで成田で合流する。
  退院したとはいえ筋肉が弱っているためかフラフラとして歩けず、空港内は係員に連絡して車椅子を用意して頂いた。車椅子を押すのも職員がやってくれ(場所によっては電動のカートで移動した)満足に歩けない状態でも非常に快適に出国することが出来た。

  成田に着くと嬉しいサプライズ。大失敗した私を友人が出迎えてくれていた。

無事完走した2016年よりも多いぞ

  写真を撮ったけいたさんは写っていない。そのけいたさんに車で自宅まで送って頂き、初めての海外長距離レースチャレンジは終了した。
  ちなみにこの後、「次は絶対砂漠を超える、そのためにはもう一度出ないといけない、鈴木家の財政的に厳しいから稼がないと」と何故かやる気を出して翌日から出社し、数日後に全然体が動かなくなって暫く休むことになる。


○走ったルート



○結局何が問題だったのか
  今回のこの日記、最初から大反省日記のようになっているが改めてダメだった点のまとめ

・知識不足
  熱中症、脱水、低ナトリウム血症に関する知識が全く不足していた。競技としてトライアスロンなどをやる人は確実に意識している部分で、こういった知識も無しにタフなレースに参加しようと思うこと自体が場違いだった。
  コースに対する情報も特に事前にしっかり調査していなかった。砂漠対策にしてもそう。過去の参加者からの情報はいくらでも入手できる世の中なのに、知らなくても大丈夫だろうと怠った。

・準備不足
  知識や情報の無さから砂漠を走り続けるための装備が全く足りていなかった。補給や連絡などクルーとの連携も全くの準備不足。単独で走り続けれるブルベと比較してしまい「大して練習してなくてもサポートカーがついているってだけでラク出来る」と思っていた。実は国内で使える特定小電力トランシーバーは持っていたのだが電波の届く距離が余りに短いのもあって使用せず。借りた車のサイズも小さすぎ、序盤でリタイアしなくともクルー全員が3日過ごすのは厳しかったと思う。

・実力不足
  上で準備不足を挙げたがPBPなどは自転車持っていきなりパっと参加してもどうにでもなるように、もっと走力がある人ならばRAWもこの状態で完走できるのかもしれない。しかし私の力ではこれは全然無理だ、しっかり準備を整えてそれでなんとか完走できるかも、そういうレベルの大会であった。


  立川さんが海外1200kmブルベで知り合った女性の方(RAW完走者)がFBでAndrewの日記にこんなコメントをしている
  「(DNFした)彼らはスタートから全力で飛ばすという典型的な間違いを犯した。登坂と共に急激に変わる気候は砂漠の超絶な暑さに慣れていない人にとって殺人的だ。TS1~3までで起きている毎年のDNFは避けられるものだ。これはクリテリウムじゃないよ、日が落ちるまで気楽に行くべき」

  私の場合序盤を抑えて走ったからといって後半まで高速に走り続けれるわけじゃない。TS1までは気負っていたといえ200W以下には抑えておりそこまで失策では無いと思う。しかしもう少しだけ肩の力を抜いていれば、もう少しだけ進めたかもね。それでも完走はキツかったかな。


○他の参加者たち
・2015年のRAW
  例年と比べて気温が高かったせいか多くが砂漠でやられる結果となった
リザルトへのリンク

  ソロ全体では21人参加中完走者7人、私が参加した男性50歳以下は12人中4人完走。完走率は3割。国内の600kmブルベとはわけが違う、参加にはお金も時間もかかるし、クルーの協力もいる。皆が脚に自信があってのこの結果だからやはり過酷な大会なのだろう。

  日記本文で何度か出てきた薔薇ジャージの美人、Eva Synnestvedt Hansenは女性トップ、3日4時間で完走している。
  序盤争っていたブラジルのジムインストラクターFabio Silvestriは2日20時間、カテゴリ2位でのゴールだった。

  最初の頃先頭を走っていたはずなのにいつの間にかいなくなっていたAndrew WillisはPC1まででミスコース、その後砂漠に突入すると直ぐに熱中症になり、私と同じくPioneer Memorial Hospitalに運ばれた。 Andrewの日記には 救急車で他のレーサーが運ばれてきた、彼は乗車中に意識を失ったらしい。と私のことが書かれている。
  この年リタイアした私と彼、Andy Christensen、Joe Frankの4人は翌年2016年にも参加、全員完走し雪辱を果たした。

・続いてRAAM
  RAAMソロ完走率は21/41。男性50歳以下で16/27。どちらも5割を超えている。序盤はRAWと全く同じコースであり、その後3倍もの距離を走るのに完走率はRAWよりずっと高い。身体スペックが違い過ぎると思っていたが、準備や装備の差もあるのかもしれない。

  記録保持者にしてここ3年の優勝者、Christoph Strasserは半分地点で肺の問題でリタイアした。
  日本語堪能なScott Ragsdale、RAAM5回完走者のMarko Balohをコーチにつけての2回目の挑戦も途中でガケから落ちてダメだったようだ。日記はグロ写真注意

  やはり一筋縄では行かない。それでも皆懲りない。
前述のAndrew日記、帰宅後PCを開きRaceAcrossOregonに申し込んだとある。Ragsdale氏の日記は最後に
"We fall down, but we have to get back up and keep climbing."
と綴られている。


○長距離レースに出てみて
  帰ってきて蓑田さんに「ブルベでは満足できない感じがあったけどどうだったの?」と聞かれた。ああ、RAWはレースだったよ。私がやりたかったヤツだ。スタート地点に立った時の緊張感はツールドおきなわのそれに近かった。
  ブルベはタイムを競うものでは無い。もちろん交通法規に則り安全マージンをとって走る以上速く走るのは自由だし、私もよくそうやってムキになって走る。でも速く走るのが目的で無い人がいる以上、タイムや順位を争うのはナンセンスだと思う。そんな風に考え出してここ数年、頑張って走ったゴール時には所要時間をtweetしてない。コース状況によって全然変わってくるタイムだけが独り歩きしちゃうのイヤだからね。(先頭付近はレース気分なPBPはタイムや順位狙うのも面白いかも)
  人と競いたければ、タイムに意味を持たせたければ、レースに出ればいい。残念ながら日本で自転車の超長距離レースは無い。ウルトラマラソンは趣味や大会として存在するけど、ウルトラマラソンサイクリングは無い。海外ならばそれがある!

  RAWはレースだ。もちろん完走ギリギリ狙いで参加してる人もいるけど「速いことに価値があり、参加者は少しでも速く走ることを目指す」のがレースだ。いくら実力があろうとも結果遅かったら負け。ああ、潔い。○○さんが本気出したらもっと速いんじゃない?とかそんなこと考えなくていい。レースになるように細かなルールや罰則が設けられているし、コース的にも信号の1つ2つで差がひっくり返ったりしない。ドラフティング禁止だし尚更。

  ホビーレーサーの知り合い達と比べると私はちっとも速くない、ブルベ界でももっと速い人は何人も居る。それでも私は、私みたいに速さに憑りつかれて走ってるような人は、レースに出てみればいいと思う。2015年は大失敗の日記となった。次に書く2016年は反省を生かしなんとか完走している。この日記を読んで参加を考える人が現れたら嬉しいね。

2016年7月8日金曜日

2015RAWその11: 気がつけば I see you.

  目が覚めた。自分がどこに居るのか、何をしているのかわからなかった。
  妻がベッドの横の椅子に座り突っ伏して寝ている。暫くそれを見た後、尋ねた。

  「ここどこ?」
ああ思い出した、アメリカまで来て自転車レースに参加していたんだっけ。RAWはどうなったんだろう。

  妻から走行中に気を失って倒れたこと、引き返して病院に運ばれたこと、そしてなんと驚くことにレース開始からまる2日が経過していることを聞く。

  そうか、ここ病院なのか。じゃあレースはダメだったんだな。
  頭も体もうまく動かない。腕や太腿には点滴の注射針が刺さっており、尿道にはカテーテルが差し込まれていた。頭が回らないことが幸いしてか悔しさはあまり感じなかった。

ERで治療を受けた後に移された

  えっ、レース開始から2日経ってるって?その間意識無かったのか?

  どうやらここに運ばれて間もなく意識は戻った。しかし精神に障害が出ており妻を認識することは無く
・手足の点滴を外せと暴れる
・レースの続きを走らなきゃと走りに行こうとする
の2択を繰り返していたらしい。

  妻は「もしこのまま戻らないんだったら暴れるより走らなきゃって言ってるほうがいいな」まで覚悟していたようだ。

医師の話を通訳してくれる立川さん

  クルーの皆がやってきた。「あ、戻ったの?」と喜んでくれている。
  当の本人は目が覚めた直後からか、薬の影響か、いまいちまだ状況が掴めず皆が周りにいて嬉しくてニコニコしている。

  帰国後もこの2日間の話はクルーとあまりしていない。妻が病院に残り他のメンバーは近くのモーテルに泊まったようだ。病院に運ばれ命はとりとめたのはいいが妻の事もわからない、ここがどこなのかも認識していない。正常になるまでの2日間は気が気で無かっただろう。Ⅲ度熱中症の致死率は30%。調べて渡米を後悔した、と冨永さんは言う。
  まさか自分が妻のことを認識しなくなるなんてあるはずないと思ってた、看病してる妻にしてみれば酷い話だ。

  医師がやってきて、意識もしっかりしてきたしと一般病棟に移ることになった。

言葉の通じない宇宙人に捕まってしまって暴れてた記憶がうっすらとある

  ベッドから体を起こそうとするも起き上がれない。立川さんの通訳によると「体の筋肉がダメージを受けている」とのこと。
  実は帰国後に診断書を見て知ったのだが、私の病名は熱中症&横紋筋融解症。骨格筋が壊死して血液に流れ出てしまう病気で脱水により引き起こされた。

  回復は順調で一般病棟で一晩過ごし、翌日には退院、帰国となった。


  一方その頃日本では。

  スタート直後は快調にトップ付近を走っていた私、その後砂漠に入ってからの失速は「暑さにやられている模様」とクルーの呟きで知る。
  暫く停車していたがまた走り出した、夜になって元気が出たか?それにしても速すぎるうえに逆走してないこれ?

  クルーからの情報が一切入らなくなったtwitterはいろいろな推測が飛び交っていた。「少し前にR124の選手が止まっていた場所に来た。ここは病院だから車で病院に運ばれたのだろう」

R124アンドリューの奥さんは私の妻を慰めてくれた

  凄いドンピシャ。

  病院に行ったとしてもクルーの呟きが一切無いのはどういうことだ?
  「応援しているけど僕は走りたい側の人間だからクルーは出来ない」洒落たコメントと現金でサポートしてくれた橘さんを始め、最悪の事態を想像した友人たち。@raam_japanのアカウントで山名さんが日本から情報を配信してくれていたが、その山名さんも詳細を知るはずも無く、2日後に回復するまで大変な心配をさせてしまった。蓑田さんは「自分は楽観的だった」と言っていたけど。
  骨折等の外傷ならともかく、意識障害が出ている状況じゃクルーも何も言えんよね…


  ブルベでは比較的安全に振って走れていると思う。
  海外だから、エクストリームなレースだから、フラフラしながらの危険な走行が許される?
  もちろんそんな訳は無い。突っ込んだのが植え込みだったからただの自爆で済んだ、これが対向車とぶつかっていたらドライバーに迷惑どころじゃ済まない。走りきる力、準備、撤退の判断、全てが足りていなかった。

  もし許されるならもう一度あのクソみたいな砂漠に挑み、それを超えたいと思った。

2016年7月5日火曜日

2015RAWその10: 救急搬送、砂漠を走るということ

  序盤の最高標高は1280m。数字だけ見るとたいしたことない峠からの下り。
  太平洋からの風で比較的冷しいカリフォルニア南部の海岸部、一山超えると気候がガラっと変わると言われていたその光景を目の当たりにした。

もはや草木が無い

  グラスエレベーターと称されるこの下りの平均斜度は7%、踏めばおそらくかなりの速度が出るだろう。
  怖いのはひび割れた路面、それから砂漠から吹き上げる風。砂漠で温められた空気が強烈な上昇気流となり遮蔽物の無い峠に襲い掛かるのだろうか、その風はまるで台風。

  最近のブルベ、1200kmもBAJ2400kmも、海外のPBPでも、コースプロフィールの詳細など特に確認することは無かった。最高気温、最低気温、それから降水確率。それで装備を決めてあとはその場で走るだけ。登りだろうが下りだろうが一定出力で漕げばよく、事前になにか予習しておく必要はあまり感じない。予約したいホテルが山頂にでもない限り、途中のアップダウンでそれほど到着時間は変わらないし。
  このRAWのコースもインプットされている事前情報は「最初の1区間は結構登りが多い、その後下ったら砂漠で暑い。最後はまた登りでちょっと寒いかもしれない」程度のものだ。探せばすぐに入手できただろう、この下りが強風吹き荒れて危険だなんて情報は持ってるはずもなく、フロント90mm&リアディスクホイールを選択してきてしまった。

  参加者の多くはディープリムやディスクのTTバイクを持ってきている。
  どうせ砂漠に入ってホイール交換するなら、そこまでのアップダウンで若干時間を失おうとも交換にかかる時間ほどではない。そう考えてのスタートからディスクホイール装備、しかし私の他に超ディープの参加者はいなかった。もしかしてこの下りの暴風を考えてのロープロ選択だったのか。

  突風で吹っ飛ばされそうになりながら自分の選択を後悔する。しかしここはもうこれで行くしかない。ハンドルを握りしめ風に逆らい路面の割れ目に集中する。
  崖側にガードレールは無く、落車=大惨事だ。70km/hを超えたあたりで自重しブレーキをかけた。それでも60km/hは出ていただろうに、先ほど登りで抜いたチーム参加の女性ライダーが颯爽と追い抜いていく。全く、この速度で女性に抜かれるなんて。

  緊張した下り、あまりキョロキョロする余裕は無くともその眺めは圧巻だった。
  峠から見る景色はどこも美しい。海外を走って最初に感動したのは2007年PBPついでのガリビエ峠、日本より森林限界の低いフランスアルプスからの眺めは広大でそのスケールに圧倒された。

見渡す限り砂

  …広大、確かにこれは広大な眺めだ。しかし美しいと言えるのだろうか。これが砂漠か、本当に何も無い。

  いや何かあるな。
一面の砂の中に小さくポツンと見えるのは麓の街、Borrego Springs。モーテルやレストランが数件並ぶだけの小さな街。下り切ってここを通過、快適だった30℃台とお別れ。

クルーも大変である

  砂漠と聞いてイメージするようなサハラ砂漠の砂丘とは違う。腰の高さほどのブッシュは生えている。ただ木陰は全く無い、そもそも木が無い。建物も無い。照り付ける日差しから逃れる術はサポートカーのみ。

何もない

  海抜-69m、塩湖であるソルトン湖までゆるやかな下りが一直線に50km続く。北海道ブルベでも100km先まで直線という道を走った、あの時は何もないと思った。でも風力発電の風車や、湿地に生える草木、公衆トイレなど少しの変化はあった。ここには何も無い。どこまで行っても同じ景色しか見えない。

ああ、多少のアップダウンはあったっけ

  暑い、この時点で45℃。
「ドライヤーのような熱風が」日本の夏ブルベ記事でもそんな表現を見ることがある。でもこれは「ような」じゃない、乾燥して熱いドライヤーの熱風そのものだ。顔にドライヤーを当てられて走り続ける。「気温は高いけど湿度は低いから日本ほど不快じゃないよ」そんな風に言ってた奴は誰だ。

  それに日光。日差しの強さは暑いを通り越して痛い。前述のように日陰は無く昼は常にこの光線にヤられる。暴力的だとすら思った。

  湿度が低く止めどなく流れる汗は直ぐに乾いていく。冷却の為頭にかけた水も直ぐに乾く。気化で熱を奪ってくれているはずだがそれは全然体感できない。砂漠に入りサポートカーの停車可能場所は増え、補給は安定して行えるようになった。体にかける水の割合が多いため粉末スポーツドリンクを使うことな無く、クルーへのドリンクオーダーは全て水になった。
  喉が痛む。乾燥して乾いているのか、熱い空気にさらされるからか、時折巻き上がる砂の影響か。ボトルの水を流し込む。

たまらずサポートカーで休憩

  停止して車内に入るとふくらはぎ、太腿はおろか、腹筋まで攣った。

  思わず口から出た言葉は「砂漠舐めてた」
今回RAWを走るにあたって基準となったのはブルベやサイクリング。100km超のPC間をノンストップで走るそれと比べたらサポートカー付きだなんてまるで五つ星ホテルじゃないか。砂漠は暑いんだろうけどサポートカーがいる。いざとなったら車で涼めるし水や氷もすぐ手に入る。寒いのは苦手でも暑いのは強いしね。

  40℃超の気温を経験したこともない状態で、よく暑いのは好きだなんて言えたものだなあと呆れてしまう。車での休憩もそうだ、確かに少し涼むことは出来るけど、オマエは暑い日中ずっと車で休んでるつもりだったのか。砂漠の中を出来る限り走り続ける、そういった準備が足りなかった。

  あとは知識不足。砂漠に入り水をガブガブ飲んでいる。ナトリウムが必要なことはなんとなくは知っており背中ポケットに塩分タブレットを入れていたが、水分に対しどれだけの量が必要なのか、不足したらどうなるのか、そんなことを全くわかっていなかった。結果この時点で低ナトリウム血症の症状が現れ始めている。熱中症の初期症状か平衡感覚がやや失われ、真っ直ぐ走れていない。(本人はそんなこと感じていない)
  これで「長距離はそこそこ経験ある」なんて思い上がりも甚だしい。全てにおいてド素人もいいところだ。

  走行時の速度は25km/h、出力は100W程度しか出ていない。それでも「少しでも止まらず前に進み続ければゴールに近づく」というブルベの道理を信じて漕ぎ続けた。もう楽しさなんて微塵も無い。
  5000kmを超えるレースは他にもある。12日という制限時間は私のようなアマチュアサイクリストにも手の届きそうな位置だ。そんなRAAMが「The World’s Toughest Bicycle Race」と銘打つ理由が少しわかった気がする。スタートからたった200kmで。

空は赤みを帯びだす

  日が落ち始めた。これで気温は現実的な値にまで下がる。私自身も、クルーの皆もそう安心した。しかし体内のナトリウム濃度は更に低下しており、喉の渇きを感じなくなるまでに重症化していた。

ダイレクトサポート開始

  意識は朦朧としている。気が付けば日は完全に暮れ、辺りは真っ暗になっていた。
  TS2:Brawleyに到着は21時、砂漠に入ってからここまで50kmに3時間近くかかっている。ガソリンスタンドで給油の際に車内で休憩、アイスを食べたことは覚えている。

  物を考えるのは言語ベースだと思っていた。妻が言っていることはどうにかわかる、それに対して伝えたいこともある。でもそれをどう言っていいのかよくわからない、言葉が口から出てこない。なんで日本語がわからないのだろう。ガソリンスタンドを出て先に進んだらしいが、この後のことはもう全く覚えていない。

  「GPSが表示されなくなった」そう言ったらしい。車を止めてクルーが確認したが表示は問題無い。「ちゃんと表示されてるよ」
  街を出て砂漠に入ってからもう一度大休憩、ここで私は「ゴメン」と繰り返していたようだ。もしかしたら体調的に完走が厳しいことがわかったのかもしれない。不甲斐ない自分の走りと結果を皆に謝っていたのか。

  再出発して間もなく、自転車上で意識を失い路肩のブッシュに突っ込む。

倒れたのが対向車線側でなくて良かった

  全身を痙攣させた後ピタっと止まったのを見て「死んだかと思った」、冨永さんは後日回復した私に冗談交じりでそう語った。

  救急車を呼び、病院へ搬送。

引き返しブロウリーの病院へ

  RAAMクオリファイ獲得の小手調べ、楽に完走できるつもりでいたRAW。半年の準備で挑んだその挑戦はスタートから11時間、わずか266kmで終わる。

2015RAWその9: 忍び寄る脱水

  歓声の中、2015年RAWがスタート。

写真を撮ろうとして皆に「運転運転」と突っ込まれる立川さん

GPSビーコンでのライブトラッキング画面

  ローアングルから構えるカメラマンの真横を通過し、海岸線を500m走って右折。振り返ってサポートカーを確認後、大きく手を振って左折する。スタートから1kmにも満たないこの地点からサポートカーとは別ルート、13kmまでは川沿いのサイクリングロードを走り、その後一般道に出て38km地点で再びサポートカーと合流する。

  川沿いサイクリングロードは道幅も広く無く、一般人もいるためパレード区間で前走者の追い抜き禁止となっている。ハンドルに付けたアクションカメラに状況を解説すべくブツブツと呟きながら走った。
  パワーメーターを見る、予定より少しオーバー気味か。それでも無酸素運動域に入るほどは出していないし、神経が昂っており苦しさは全く感じない。気分よく走るうちに1分前にスタートした女性、カレン・アームストロングに追いついてしまった。

  このRAWとRAAM、1分間隔の時差スタートでの個人TTとなっておりドラフティングは禁止だ。パレード区間で追い抜きも出来ず、10mほど離れた位置をキープする。こんな序盤の速度は大勢に影響無いだろうがもう少し気持ちいい速度で走りたい。
  我慢の走りを続けていると左から黒い塊が走り去っていく。1分後スタートのブラジル人だ。抜かれた以上こちらも黙ってタラタラ走るわけにはいかず、慌てて追いかけ尋ねた。「ここってパレードじゃないの?」
  「何言ってるんだい。これはレースなんだぜ」陽気なブラジル人。彼の名はファビオ。この先TS1まで抜きつ抜かれつの争いをすることになる。

  サイクリングロード出口ではスタッフが待機しておりゼッケンを確認。ここからは一般道。
※結局ファビオが間違っていてここは追い抜き禁止区間だったわけだが…ペナルティー食らわなくてよかった。

  信号は少ないがゼロではない。優先道路への流入交差点では一時停止義務がある。そういった箇所にはたいていスタッフが待機しているし、スタッフカーの巡回も多い。「交通ルールを守りましょう」なんて性善説じゃない。他チームにも常に監視されており違反すれば失格なのだ。だからこそ守ることに公平感が出る。
  私のやりたかったことはこれだよな、と思う。いくら交通ルールを守ろうとも、ブルベでタイムや順位を意識して走るのはグレーな気がして嫌だった。これはレースだ。やりたかった超ロングのレースを今まさに走っている。

  高揚感は止まらない、幸せで飛んでいきそうだ。ファビオとそれからもう一人速そうなのはアンドリュー、前後しながら先にスタートした参加者をどんどん追い抜いていく。体重は私が最も軽いか、斜度がキツイ登りになるとファビオを捉え、平地でまた抜かれる。ドラフティング禁止で後ろにはつけず抜くときは一気加速して。
  200kmのブルベより出力は抑えられているとはいえ、1400km持つか、と聞かれたら多分ノーだ。まだほんの序盤、もっと抑えて走った方がいいのだろう。まあきっと、ここでこの争いに加わらずクレバーに走れる性格ならこのレースに出ていない。

サポートカーが合流を待つ駐車場

  合流の38km地点まではあっという間だった。
  スペアタイヤ、それからパンク修理セットの入ったツール缶を投げ捨てボトルを受け取る。曇り空で肌寒かったスタート地点からそんなに離れていないのに青空が広がり気温が上昇してきた。

リープフロッグ(カエル飛び)サポート開始

  最初のタイムステーション(ブルベにおけるPC)、TS01:Lake Henshawまでは91.5km、獲得標高は1967mというアップダウンの多いパートだ。このレースで優勝出来る可能性は極めて低いとわかってはいるが、それでも参加するからには夢は見たい。TS1くらいはトップ通過目指してもいいじゃないか。

  路面はそんなには悪くない。しかし所々荒れている箇所もあり、下りの振動でハンドルにつけていたアクションカメラをふっ飛ばしてしまう。慌てて停止しカメラ本体は見つかるが、落下の衝撃で蓋が開き中のメモリカードを紛失。レース前の宴会、それからスタートからここまで撮ってきた動画が全て無に…

陽気なブラジル人ファビオ

  何故かファビオのクルーは美女で構成されている。私にも「Fantastic Job!」と応援してくれて嬉しい。

ファビオから少し離れて私。ちょうど他の選手をパスした所

  止まっているクルーからの補給物資受け取り。一度くらい練習したほうがいいかもねなんていいつつも機会が無くぶっつけ本番。
  レーサーとしてはヒルクラ給水所での補給のような感じでいた。速度を減速し、ボトルやサコッシュに入れた食料を受けとる。リープフロッグでの停車位置は速度の乗る下りは避けるように伝えていたし、練習無しでも問題になるとは思わなかった。

ボトルの受け取りに失敗

  最初は受け取った時の衝撃でボトルの蓋が外れてしまう。減速無しで突っ込んでいるつもりは無い。ヒルクラやツールドおきなわで失敗したことなんて無いのだけれど、渡す側も初めての経験で、どうにも上手くいかない。
  止まって受け取ればいいもののこっちはファビオと争っている最中。ちょっとイラっとして「走って!」と伝えてしまった。別に走る必要なんてなくこっちの手に合わせて少し動かして貰いたかっただけなのだが、この後律儀にクルーは走ることになってしまい申し訳なかったなと反省。

  更に問題だったのは出国直前に買ったエアロボトル。なにかもう(機材力だけで)出来ることは無いかとエアロボトルに目をつけダウンチューブのケージのみこれに交換。これにより通常の円柱ボトルとエアロボトルの2種類が存在することになる。
  替えボトルは両方3つずつある。私は補給といえば両方のボトルが用意してあるものだと当然思っている。補給手前でエアロボトルを手にし大声で叫んで要求するが、用意されているのは通常ボトルのみ。こんなことが何回か続いた。妻はサポート経験なんて無いし、事前に伝えておかなくてはいけないことだったのに両方用意されるものだとばかり思い込んでいた。いくら夫婦であっても言わなければ何も伝わらない。
  妻は「エアロボトルが敗因だった」と言っているが、水とスポーツドリンクを両方用意出来てない時点でボトル形状が同じでも結果は似たようなものだっただろう。トランシーバーが無かったのも受け取り失敗に拍車をかけた。

  失敗したら止まればいい、1回の停車が30秒でも10回繰り返したら5分になる。そのたった5分が惜しかった。それにまたすぐにリープフロッグで補給できる、ちょっと先で再度チャレンジすればいい。


  誤算は他にもある。チーフクルーミーティングでは「お互いが見える距離で止まるのがBESTだ」と説明されていたリープフロッグ時の停車間隔。しかし実際は「白線まで1.5m間隔をあけた外側に停車」のルールに適したスペースがなかなか無く、あってもファビオカーに取られている。結果リープフロッグの間隔は私が想像していたのよりずっと長かった。特に長く続く登りでは路肩が狭いことが多く、ピークまで補給を受け取ることが出来なかった。
  1回のボトル受け取りミスで次の補給までにドリンクが尽きてしまう。気温は39℃、日本では経験したことのない領域に突入していた。

TS01:ヘンショー湖。既に暑い

  暑さから頭にかける用途でも水は大量に使う。何度か続いた水切れで脱水症状はジワジワと体を蝕み始める。
※本当はナトリウム不足が問題だったのだが、それは次回日記で。

  RAWのチェックポイントのTSではレーサーは止まらず走り続けてよく、クルーが本部に通過時間を電話連絡する。ここTS1でクルーの電話は本部となかなか繋がらず、TSからの出発が遅れてしまった。
  ボトルの水は完全に尽きた。止まってサポートカーを待つことも考えるが、どうせ日陰は無い。走り続けても大して変わらないだろう。それにしてもサポートカーは遅い、一体何をしているのだと電話とかけるが電話に出ない。(こちらからの着信に気が付かないというミス)

  暫く走り続けたがもう限界だ、日差しは強く喉は痛い。気分が悪くなり何度か吐いた。

徐々に高い木が無くなり、砂漠の近づきを感じさせる

  「クルーはこうしてくれるだろう」「すぐ先でサポートカーは止まってくれるだろう」練習も準備もせず、そんな都合のいい思いが体力を奪っていく。準備不足ならもっと行動を安全に振ればいい、なぜそれが出来なかったのか、やはりレースの雰囲気で舞い上がって、それから焦っていたのか。

  砂漠に入る前、この時点で消耗度合は予想を遥かに上回った。それでもまだ楽しい、過酷さは覚悟してきたから。

2016年7月4日月曜日

2015RAWその8: 緊張のスタート前

○RAWスタート日
  前日はカワチさんから頂いたマッサージオイルで妻にマッサージしてもらっているうちに眠りに落ちた。緊張はしていたがこれまでの準備で疲れも溜まっており、グッスリ寝れたようだ。
  朝はギリギリまで寝る。クルーは食料などを買出し後に車でスタート地点まで移動、私は皆が準備している間ジャグジーでゆっくりし、ホテルから自転車で集合場所に向かった。

停車位置はゼッケンで指定されている

  ライダーのスタートに合わせて順に発車できるように車の並びもスタート順になっている。
  早めに到着し止まっている車はまばら。時間ギリギリだと混雑した駐車場に止めなければならず(皆の車が大きいため)ちょっと大変かもしれない。

彼はトニーなのかカールなのか

  時間があるのでスタート地点付近をブラブラする。

スタートゲート裏から

最初は警察が先導するのかな

  車道の上の高架は桟橋。スタート直前になると桟橋の上にも観客が増えてくる。
  このスタートゲート、RAAMでは無くてRAWのマークが書かれている。スタート順はRAWチーム、RAWソロ、RAAMソロ。いずみちゃんが係員に聞いたところによると、RAAMソロの前にRAWゲートを萎めてRAAM用ゲートを膨らますとのことだ。

出番の無い監督代行

最後のメンテナンス

  スタートが近づくにつれ他のチームのフォロービークルが次々と駐車場に入ってくる。やたらデカくて我々の車が軽自動車に見える。
  隣の車はハネムーンチームだった。

新婚さんは帝国の手先

  はっ!「新婚 = チューバッカ」というネタなのか!(それ日本語…)

屋根に拡声器やスピーカーをつけた車が多い

これはRAW4人チームだがソロでもラック装備が基本か

国旗つきも

60代チーム

アメリカRAW2人チーム

  この人はインド系なのかな?
前日に何度か会った際もフレンドリーに話しかけてきてくれた。

あ、美女だ

どうしてこう何もかもサマになっているのか

美女カーは花で飾られてるし…

インタビューのお姉さん

相変わらず英語インタビューはボロボロ

  私の英語読み能力は高校生レベルで、聞き取りは中学生レベル。しかし発言となると小学生程度のことしか言えない。日本語->英語変換が全く出来ないのだ。
  妻に言わせればこんなインタニューなんて定型文なんだから予め用意しておけばいいとのことだが、とにかくテンパちゃって全然ダメで最後は開き直って日本語で答えた。その結果この映像が使われることは無かった。

ゆりかさん手製のツノ

ウシというより鬼のツノな感じ

スズキケ行くぞ!オー!

  ここまで長かった。RAAMを目標としまずはRAW参戦、クルー集めも簡単では無かった。

  夢物語なRAAMの話を乗り気で聞いてくれた立川さん、私の父親より年上なのに元気で自転車に乗っている。レーサーちょっと頼りねえなと思っているに違いないが、それでもずっと応援してくれている。アメリカでのレースだなんて立川さんの英語力が無ければ成り立たない話だった。
  忙しい中1週間超の休みをなんとか都合つけて参加してくれた冨永さん。アメリカ横断経験ありの運転スキルもさることながら常に冷静な判断で淡々と役割をこなしてくれた。
  春先に名古屋のブルベに行った際、スタッフいずみちゃんが持っていたルールブックにエンピツで翻訳がびっしり書きこまれているのを見て「これは完走しなきゃならん」と思ったっけ。ただのボケ担当では無いな、と。
  そして事務的な裏方作業をぜんぶやってくれ、このバカみたいな挑戦を承諾してくれた妻。

  クルーを始め、日本にいる皆も協力し、応援してくれた。
  だからこうしてスタート地点に立てたこの時点で、気分はもうゴールしたようなものだったんだ。あとは走るだけ、5割、いや8割は来てるだろ。あとは走るだけ。

  それが激甘だったことは半日もしないうちに思い知らされるんだけどね。


  レーサーはスタート地点に集合、駐車場で待機のクルーとはここでお別れ。
  スタート地点では開会式の後、国歌斉唱。アメリカ国歌に何の思い入れもないけれど、今から始まるこのイベントがアメリカ大陸横断なんだと感じさせてくれて鳥肌が立った。

時間が来て駐車場から移動

んじゃ、ちょっと1400km走ってくるわ

  トラッキングデバイスはスタート地点で手渡すと前日のレーサーミーティングで聞いていた。
  しまった、そういや受け取って無い!もうスタート10分前で焦って係員に尋ねる。スタート直前で渡されるから大丈夫だと。

GPSトラッキングデバイス

  ゲート下に立ったまさにカウントダウン直前に渡された。

レーサーミーティングと同じMCがヒロカズースズーキー叫ぶ

スタートライブ映像より

  笑っている。代表に「緊張しているのか?」と聞かれ「ああ緊張してる。問題無い、楽しむよ」そんな風に返したところだ。
  とにかく緊張していたことを覚えている。でも確かにそんな緊張の中、これから始まるレースに気が狂いそうなほどワクワクし、笑みが溢れてきて仕方なかった。

  Five, Four, Three, Two, One…
2015年 Race Across the West、スタート。