2017/03/16

イナさんのはなし

 昨日3/15、ニュージーランドの1200kmブルベに参加していたAJ会長、稲垣さんが事故で亡くなられた。

 イナさんとの出会いはいつだっただろう?確か最初に話したのは埼玉ブルベでけいたさんに紹介されて、でもその前から会っていたかもしれない。イナさんがブルベに参加し始めたのは2009年、その後はすごい勢いでブルベに参加していき、2010年にはAJの年間走行距離は日本トップ、気がつけば会長になっていた。

 僕とイナさんは長距離ブルベに参加する度に顔を合わせ、次第に会話も増えていった。僕もよく喋るので、みなが言う「よくしゃべるオジサン」という印象は抱かなかった。ずっと年上なのに速く、その時間は美味いものを食べたり名所を巡るのに使っていた。
 イナさんは海外の友達に僕のことを「日本のヘンタイ」と紹介する。同じ距離を走る者として、少しは認めてくれていたんだと思う。同時に僕の弱さもよく知っていた。リタイアした翌週のブルベでイナさんと会うと「zuccha~どうしたの?」と心配そうに近づいてきて、医学的見地からのアドバイスをくれた。

 とにかくパワフルな人で、成功者が持つオーラと自信に満ちていた。他人のことを気遣える、お節介やきではあるものの、時に周りをかきまわしてでも突き進むイナさんは、たぶん当たり障りのない善人と違って好き嫌いが出やすい。僕は強烈な個性を持つ人が好きで、だからイナさんのことは大好きだった。

 イナさんの話はblogでも何度か書いている。降りしきる雨の寒さでビーナスラインで身動きがとれなくなったとき、埼玉1000の帰りにチェーンが切れたとき、心配してわざわざ電話をかけてきてくれた。2011年PBPでは帰路で一緒になり、ずっと話しながら走っていたら前の外国人にウルサイと怒られた。
 九州ヘブンウィークでは後ろから「zuccha!zuccha!」と何故か檄を飛ばされ、高速列車のお膳立てをされた。僕がバテて休憩のため銭湯に寄ったら、脱いだイナさんはケツの割れ目まで真っ黒。聞けば変に焼ける前に日焼けサロンで綺麗に焼いてきたと、まったく意味のわからない返答が返ってきた。
 そうそう、そのヘブンウィーク。事前に当時会長の岩本さん宅に泊めていただき、モツ鍋を囲みながら3人で飲んだ。ブルベ前日だというのに宴は深夜をまわっても終わらず、岩本さんの奥さんから「私明日仕事あるんだけど、あなたたちいつ終わるの?」と苦情が来た。

 …やっぱりよくしゃべるオジサンか。

 海外のブルベにも精力的に参加していて、○○を何本走った人は世界初なんだよとか、そんな自慢をしていた。イナさんの自慢は彼の能力の高さによるものだから、僕はちっともイヤじゃなかった。AudaxJapanで最初の死亡事故。そんなところで初にならなくたっていいのに。

 死ぬはずのないイナさんの死を聞いた昨日、あまりのショックに心が耐えられず、仲間とたくさん飲んだ。今日からの生活はこれまでと変わらない。急に心を入れ替えて真面目人間になれるわけもなく、自転車に乗りたければ乗る、飲みたければ飲む、それだけだ。他人の夢は継げないし、無念は晴らせないし、僕が生きることでイナさんの死が引っくり返るわけでもない。
 イナさんのくれたアドバイス、ブルベに対する貢献、優しい笑顔、うるさいオシャベリ、それは僕の、ランドヌールの心の中にずっと残る。たまに思い出すことができれば、それでいい。

 ただそのイナさんの記憶は、この先もう増えることがない。それがたまらなく悲しい。

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